少年法適用年齢引下げ問題が明らかにした問題―立法事実と法学の関係を考える

少年法適用年齢引下げ問題の実体法的な問題については、これ以前の投稿にて詳述されているため(http://lgcj.tokyo/%e5%b0%91%e5%b9%b4%e6%b3%95%e3%81%ae%e9%81%a9%e7%94%a8%e5%b9%b4%e9%bd%a2%e5%bc%95%e4%b8%8b%e3%81%92%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%82%92%e6%8c%af%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%81%a3%e3%81%a6/)、ここでは、少年法適用年齢引下げに当たっての法制審議会での議論が明らかにした、社会的、科学的観点と、法学的観点との衝突について雑感を述べたい。

少年法適用年齢引下げに当たって、法制審議会では、少年に対して行われている手続きや保護処分が有効に機能していないことを理由とするものではないことは議論の大前提となっていた。

それでは、いかなる点が問題になっていたかといえば、民法の成年年齢が18歳に引き下げられること(や公職選挙法が改正されて18歳に選挙権が付与されたこと)を受けて、少年法の適用に当たっても、適用年齢を引下げるべきではないか、むしろ、引下げなければならないのではないかという点である。

ここで重要視されていたのは、少年法の適用年齢を引き下げなければならないような立法事実があるかどうかではなく、「理論的な正当性の有無」が、特に学者出身の委員と実務家の委員との間での論争になっていたのである。

ところが、このような「非常に根本的な問題」については、同部会に第1から第3分科会が設けられても、争点表からは外され、議論が棚上げされた。

法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会第10回に至って、少年法の適用年齢引下げの議論が本格的にされたが、そこでは、学者の委員は、民法改正に伴い、18歳、19歳の若年者が親権に服さなくなることを理由に、少年法の適用対象とすることに疑義が呈された。それに対して、実務家の委員からは立法事実がないことと、少年法においては、「親権者」ではなく、「保護者」という概念が別に用いられており、民法とは連動しないとの意見が述べられていた。

最終的には、公明党が少年法適用年齢引下げに反対するといった政治的な動きもあり、18歳、19歳についても、現行少年法とほぼ同様の取扱いがされることとなった。但し、虞犯少年については、18歳、19歳から外されるような最終答申がなされた。

このような経過を見ていると、学者出身の委員の役割もさることながら、立法事実として表れている社会的、科学的な観点と、学説的な理論的に正当化が対立関係に立っているように思われる。しかし、これ自体、妥当であろうか。


まず、そもそも立法事実とは何か。立法事実とは、当該法律の合理性を支える経験的事実などとされる。ここでは、社会的、科学的な事実が問題とされている。

次に、このような立法事実と学説的な理論的正当性というのは、どのような関係に立つであろうか。

憲法学の違憲審査を参考にすると、目的の正当性と手段の合理性必要性が立法に際しては求められる。より具体的には、目的が合理的なもので不当でないか、取ろうとしている手段がその目的を適える合理性があるか、あるとしても必要な限度のものかを検討することになる。

学説的な理論的正当性というのは、主に、目的の正当性や手段の合理性必要性を判断しようとするものだと理解できる。

少年法について言えば、20歳を基準に保護処分などの対象とすることは、少年法の目的(少年法1条「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。」)との関係で合理性があり、必要性もあると認められたため、戦後何十年間も維持され、また、制度的にも上手く運用されてきたということになろう。また、この年齢の設定については、「親権」との関係で介入が正当化されるかはそこまで重要視されてこなかったように思われる。

法改正は、まず、立法事実の変化を受けて行われることが多いであろう。

立法事実の変化を受け、違憲判断をしたものとして有名な判例としては、在外邦人選挙権制限違憲訴訟(最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁)などが挙げられるが、社会の変化を受けて、現行法が合理性を欠いていたり、必要性がないことが指摘されているものである。

それに対して、少年法年齢引下げの場面では、立法事実の変化は置き去りにされ、本人の成長の度合いという実態的な観点から介入を正当化するのであれば、立法論としては、20歳以上の若年者に対しても虞犯を根拠とした処分が正当化できることになりかねないが、このような議論は恐らくあり得ず、法的な議論である以上、社会的実態や生物学的な観点を過度に重視すべきではなく、法的な概念としての規範的評価が優先されるべきだといったことが学者出身の委員から述べられていた。

しかし、「法的な概念としての規範的評価」は、まさしく社会的実態に支えられる法令によって形成されるものであって、それとは独立した法的な概念なるものが存在するわけではないと思われる。

ここでは、社会的、科学的観点と、学問的に正当化できるかという点が対立しており、後者が優先するという視点が見て取れるが、法学の学問的な正当化は、理論の提示とその普及によって形成されるものであって、社会的、科学的観点に優先するといいきれるものではない。

むしろ、社会的、科学的観点にも支えを持つような法学こそが、今後は必要になってくるのではないかと思われる。諸外国では、neuroscience and lawなどの学問分野が形成されており、社会的、科学的学問と法学の交流が進んでいる。

わが国でも、このような交流が進んでいくことが望まれる。

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参考:

長谷部恭男『憲法 第4版』(2008年、新世社)437頁

法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会

(http://www.moj.go.jp/shingi1/housei02_00296.html)

The Royal Society Brain Waves Module 4: Neuroscience and the law

(https://royalsociety.org/-/media/Royal_Society_Content/policy/projects/brain-waves/Brain-Waves-4.pdf)