2023年7月31日
前回に引き続き、2016年にドイツ派遣留学中、研修先の検察庁や弁護士事務所で経験したことを紹介する。日本における検察官の仕事ぶりについては、相変わらず、検事が取調べ時に不起訴を示唆して供述を誘導したなどというニュースが世間を賑わせており、日本の刑事手続における起訴便宜主義や取調べの重要性(偏重?)といった特徴が際立っている。
そこで、まずは今一度、日本の起訴便宜主義とドイツの起訴法定主義について確認しておく。日本の起訴便宜主義は、刑事訴訟法248条に規定されているとおり、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」というものである。これは、単に、検察官が起訴・不起訴の決定をする権限を有するというだけでなく、「起訴するに足りる十分な証拠があっても不起訴にすることができる」という点に最大の特徴がある。証拠が足りないから起訴することができないのであれば、それは当たり前のことを言っているにすぎないが、たとえ十分な証拠があったとしても検察官が裁量で起訴しないことを選択できるのである。だからこそ、「不起訴を示唆して供述を誘導する」という事象が起こり得るのである。
これに対し、ドイツでは起訴法定主義がとられており、ドイツ刑事訴訟法152条2項には、「検察は、法律に別段の定めのある場合を除き、訴追可能なすべての犯罪について、事実に関する十分な根拠が存在する限り、訴追手続をとることを義務付けられる。」と規定されている。もっとも、「法律に別段の定めのある場合を除き」とあるように、実際には153条以下に軽微な罪等についての様々な訴追の見送りや打切りに関する規定があり、一部、起訴便宜主義と変わらない面もある。しかし、検察による起訴後、裁判所における公判開始手続(中間手続)があり、裁判所が公判を開始するか、手続を打ち切るかどうかの裁判をするため(ドイツ刑事訴訟法199条1項)、公判の開始に最も大きな影響力を持つのは、検察ではなく、裁判所なのである。
話を2016年の研修に戻そう。私は、当時、ベルリン・フンボルト大学のLL.M.(法学修士)課程に通っていたのだが、そこで受けていた「上級刑事訴訟法」の授業で教鞭をとっていた、刑事専門の法律事務所でパートナーを務める弁護士にお願いし、1か月間、法律事務所で研修をさせてもらうことになった。弁護士による刑事訴訟法の授業というと、実務家に刑事訴訟実務について習ったと思われるかもしれないが、授業内容は刑事訴訟法の理論を取り扱うものであり、印象に残ったのは、ジェレミー・ベンサムの功利主義にまで遡って刑事訴訟法の理論を掘り下げる話であった。今となっては、その内容はすっかり忘れ、授業でベンサムについて聴いたことで、とても高尚な気分にさせてもらったことのみ覚えているのだが。このように、法学の授業で、哲学者の名前が当たり前に出てくるのはいかにもドイツらしい。大学というのは、実務家が教鞭をとっても、常にアカデミックな場である。
<証拠開示について>
さて、「刑事専門の法律事務所」と紹介したが、そう聞いた皆さんは、どのような法律事務所を想像されるただろうか。被疑者が逮捕されたと聞いてすぐに接見に駆けつける弁護士、無罪を勝ち取るために公判で闘う弁護士など、日本でも刑事専門の熱い弁護士が集う法律事務所は存在するが、どうしても、刑事専門で果たして食っていけるのか?という問題に突き当たる。私が研修をしたドイツの刑事専門の法律事務所は、刑事の中でも経済刑法や医事刑法などを中心に扱っており、会社や病院がクライアントに多いブティック系法律事務所であった。ベルリンの中心地2箇所に事務所を構えており(その後、医事刑法を専門にしていた弁護士は独立し、法律事務所も移転したようである。)、食っていけるか?の心配は全く不要に思われた。なぜ、そのような刑事専門の商売が成り立つかというと、前置きが長かったが、私は、起訴前に全面的な証拠開示がなされているからにほかならないのではないかと考えている。
ドイツ刑事訴訟法147条1項は、「弁護人は、裁判所に存在する記録又は公訴提起の際に裁判所に提出されることになる記録を閲覧し、また、職務上保管されている証拠物を検分することができる。」と規定している。既に述べたとおり、ドイツでは起訴後、裁判所が公判開始を決定する必要があるため、そもそも、起訴されれば、起訴状とともに一件記録が裁判所に提出される(ドイツ刑訴法199条2項後段)。検察官は、日本のように、有罪立証に必要な証拠を選んで証拠請求することはできない。つまり、証拠を隠しようがないのである。そのため、起訴前であっても弁護人に証拠開示することを躊躇う理由はない。捜査に支障がない限り、全面的な証拠開示が認められている。
日本では、起訴前の証拠開示を認めるべきとの主張に対しては、たった20日間しかない勾留期間中に起訴・不起訴の決定をしなければならないのだから、その間に証拠開示に対応すると捜査に支障を来すといったことが言われるのではないだろうか。たしかに、ドイツでも捜査に支障があるときは、証拠の閲覧が拒否されることがある。しかし、その根拠規定(ドイツ刑訴法147条2項)は、以下のようなものである。「捜査の終結が記録に書き留められるまでは、閲覧が捜査の目的を阻害するおそれがあるとき、検察官は、弁護人に対し、記録若しくはその一部の閲覧、又は職務上保管されている証拠物の検分を拒絶することができる。前文の条件を満たす場合であっても、被疑者が勾留されているとき、又は仮逮捕がなされている事案で勾留が請求されているときは、弁護人が、身体拘束の適法性を判断するために重要な情報を、適切な方法で入手できるようにしなければならない。すなわち、通常は、記録の閲覧が認められる。」長い条文であるが、最後の一文が示すとおり、記録は閲覧できるものであるというのが基本的な考え方であり、前段の捜査の目的を阻害するおそれがあるときについても、自ずと狭く解釈されているのではないかと思われる(今回は、解釈学ではなく、あくまで研修中の実感を述べるに過ぎないことについては、ご容赦願いたい)。
というのも、皆さんは、記録の閲覧と聞いて、どのようなものを想像したであろうか。日本であれば、記録の開示があれば、それを閲覧室で弁護人が一生懸命閲覧し、高いコピー代を払って謄写する。白黒コピー1枚で30円、カラーだと60円だそうだ。最近では、デジカメと三脚を使って撮影することも増えているようだが、スマホでの撮影は未だ禁止されているらしい。いかにも記録の閲覧・謄写のハードルが高い。しかし、私がドイツの法律事務所で研修のために読ませてもらっていた開示された記録は、全て、PDFファイルになっている電子データであった。記録を電子データで開示してもらえるのであれば、短い勾留期間内に開示のため時間を設け、大量のコピーを高いお金を出して取ってもらう必要もない。写りを気にしながら、手作業でデジカメを使って撮影する必要もない。残念ながら、その電子データをどのような形で貰ったのか正確に確認した覚えがないのだが、USBスティックに入れてもらっていた可能性さえあるのではないかと思う。しかし、USBで貰えなくとも、今や大学図書館や公立図書館のコピーでさえ、自分のUSBスティックを持っていけばコピー代を払わなくてもタダでスキャンできるのが当たり前のドイツであるから、事件記録も1枚1枚コピーを取るなんて考えられない。それに、紙のコピーなんて、いかにも「環境」に優しくない。いずれにしても、証拠開示が紙ベースではなく、電子データベースであるならば、開示手続のせいで物理的に捜査に支障を来すことなど限られているだろう。やはり、原則として、証拠は、起訴前であっても全面的に開示されるものなのである。
一度、病院の医師との打ち合わせに同行させてもらったことがある。開示された記録を精査した上で、これから受ける取調べでどのようなことを供述するか、今後の弁護方針はどうするかといったことの話し合いである。日本でも、こういうことができれば、取調べ時に不起訴を示唆されて供述を誘導されるなんていうこともないのだろう。
私が研修中、ドイツの弁護士から言われて印象に残ったことがある。「起訴前の証拠開示が認められていないのなら、日本の刑事弁護人は、一体、何をしているの?」である。日本の弁護人は起訴前にやることがないじゃないか、というニュアンスで聞かれたのだが、たしかにそう考えれば、ドイツに比べて弁護人にやれることが少なく、日本では刑事専門の法律事務所なんて商売が成り立たないわけだとも思えてくる。ドイツの刑事専門の弁護士が行っている中心的な仕事は、起訴前から記録を閲覧することであり、そこから弁護活動が始まっているのであるが、日本の刑事弁護人はせっせと接見に足を運び、黙秘を促す(あるいは、黙秘に耐えるように励ます)ばかりである。
「日本の刑事弁護人は、一体、何をしているの?」という雑談がてら聞かれた質問であるが、これは紛れもなく、「証拠開示なくして、適切な刑事弁護なんてできない。」という日本の刑事手続に対する痛烈な批判であるいえよう。
<修習生による公判立会(論告求刑)>
日独の刑事訴訟において、当事者主義と職権主義の違いがあるということは、検察官が捜査段階と公判段階で果たす役割や重点の置き方も違ってくる。それに伴い、検察実務修習の内容も変わってくる。日本の司法修習において、検察実務修習といえば、事件の配てんを受け、修習生係検事の指導のもと、取調べの一端を担わせてもらうことが多いので、それが検察実務修習のハイライトとも言えよう。もちろん、必ず担当検事が取調べの場にいるし、供述調書を作成するならば、その担当検事の名義で作成する。これに対し、ドイツの検察実務修習のハイライトは、公判立会である。なんと、修習生は、指導検事と連絡を取り合うスマホを携え、一人で法廷の検察官席に立つのである。私が傍聴した事件では、証人尋問等を経て、予定外のことが起こったのか、方針の確認のためか、裁判官の許可を得て一旦小休止となり、修習生は裁判所裏の部屋に行き、指導検事とスマホで連絡を取り、おそらく裏で了解を得て、戻ってから論告求刑手続に入ったことがあった。携帯電話が普及してない頃は、指導検事も同行していたのであろうか。公判は、職権主義のもと、裁判官が訴訟指揮を執り、証人尋問でも常に裁判官が主尋問を行うし、裁判所は一件記録を全て持っているのである。したがって、検察官は、既にある起訴状を朗読し、証人尋問において補充尋問をし、よほどの想定外がない限り、準備した論告求刑を行えばいいわけである。なるほど、これなら修習生でもできそうである。
私が法律事務所で研修をさせてもらっていた期間中は、ベルリンで司法修習を行っていた2名の修習生と一緒の部屋に席を貰い、PCを使わせてもらっていた。部屋で雑談をしたり、若手弁護士も含めてみんなでランチに行ったり、ランチ後に広場の階段に座ってコーヒーを飲んだりと、修習生に混ぜてもらって楽しい経験をさせてもらった。そのような経験の中で、修習生同士の会話を聞いていて一番印象に残っているのは、「俺、無罪論告したぜ!」という得意げな興奮気味の会話である。その修習生は、検察修習の合間の時間があるときに法律事務所に来ていたのだったかなんだったか忘れたが、たしか、「昨日ついに無罪論告をした!」というなんとも誇らしげな様子であった。事件内容やらはすっかり忘れてしまったのだが、いずれにしても、ドイツでも検察官が無罪論告をすることは、かなり珍しいことであるのは間違いない。そういう珍しいことを経験したという興奮した様子が伝わってきた。それを聞いていた私にとっては、「検察官が無罪論告をする」+「それを修習生がする」という二重の驚きである。日本の検察のことを思うと、地球が何回転すればそこに辿り着くのかよく分からなかった。とにかく、驚いた。
何が何でも有罪を勝ち取る必要はない。それが無罪だと思えば、公判立会を担当するのが修習生であったとしても、無罪論告をしていいのである。無罪になったからといって、検察に何かが起きるわけではない。法廷で真実が明らかになっただけである。
今回は、ドイツの刑事専門の法律事務所に身を置くことで見えた日本の検察制度について紹介した。検事として刑事実務を経験した後に、弁護修習をすることができるなんて、本当に価値のある研修だった。この法律事務所での研修は、日本の法務省やドイツの司法省を全く介すことなく、個人的にお願いしたものであり、ドイツ留学中の日本の検事を快く事務所みんなで受け入れてくれたことに心から感謝している。
研修最後の日、事務所の弁護士の人たちがめちゃくちゃ素敵なチューリップの花束をプレゼントしてくれた。そして、「検察官の仕事に戻ったら、私たちのことを思い出してね。あまり弁護人に厳しくしないでね。」と言って温かく送り出してくれた。日本よりも検察が有罪立証に躍起になっていないように思われるドイツでも、やはり弁護人にとって検察官は「厳しい」存在なのだ。