当会の紹介

 当会は、刑事司法の実務、理論の両面に関心の強い弁護士・法曹が集まって、刑事司法上の問題について考えていくために設立しました。

 我が国の刑事司法は、近時、刑法や刑事訴訟法といった基本法の改正もなされておりますが、大幅・根本的な改正というのはほとんどされてきませんでした。例えば、刑法は、我が国の中で最も古い基本法の一つであり、1907年(明治40年)の公布から、大幅な改正はないところです。

 改正をすることが良いこととは限りませんが、社会の変化に対して、法令を改正しない場合には、裁判所が適切な判断を下せるのかという問題があります。また、裁判所が法律の解釈を変更することによって、事案に応じた救済をすることが良いことなのかという問題もあります。

 加えて、現在の国際主義の中で、多くの外国人が日本に来ることになっている状況下において、世界的に孤立した法制度を維持し続けることも適当とは言い難いでしょう。


 当会の立ち上げのきっかとなったのは、2019年3月に立て続けに4件下された性犯罪に関する無罪判決でした。これらに対しては、被害者団体をはじめとする一般市民からの強い反発があり、その波はスタディングなどの抗議行動にまで発展しました。言うまでもなくこれら4件の判決は、いずれも別々の事件に対するものあり、無罪となった理由も異なり、ひと纏め論じられるものではありません。いずれの判決についても、一般市民としてではなく、現行の性犯罪規定を前提とし、刑事訴訟法の原理・原則に従った結論かどうかという法律家的な視点からみれば、決して理解できないものではありませんでした。最終的に、高裁判決で結論が変更された事件もあります。しかし、そうなると高裁判決と地裁判決で結論が割れるような法律自体が適切なのかという問題が生じます。

 また、調べていくと、わが国の性犯罪規定は、2017年(平成29年)に改正がされたとはいえ、それでも諸外国の性犯罪に対する考え方、条文構成との間には大きな隔たりがあり、このような立法的な問題が背景にあると感じられるところでした。そこで、私たちは、わが国で再度、性犯罪規定の改正を行うのであれば、どのように改正することが望ましいかを具体的な条項案の形で提言することができるよう、作業を開始しました。

 具体的には、主要国の性犯罪規定を集め、分担して翻訳し、比較検討し、解釈論上の問題を踏まえたうえで、その成果をわが国の刑法に取り込むことのできる条文の形に練り上げてゆく、という作業でした。そして、それは他面で、スタンディングなどの抗議行動に表れたプリミティブな市民の気持ちを、可能な限り前向きに救い上げ、法制度として受容可能な形に変換して出力する、という作業とも言えました。

 しかし、このように、主要国の規定を集め、比較検討し、法制度として具体的な提言をしていくべき事項というのは、性犯罪規定といった抗議行動まで発展したものだけに限られるものではありません。むしろ、法律実務家、或いは法曹として直接扱う事案の中には、抗議活動には繋がらず、ただ、制度に圧せられ、沈黙せざるを得ないようなものの方が多いのではないかと思います。


 刑事裁判に関する言葉としては、平野龍一博士(元東京大学総長)によって述べられた、「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。」(『現行刑事訴訟の診断』(団藤重光博士古稀祝賀論文集第四巻、初版、昭和60年8月30日、有斐閣)423頁)というのが有名です。これは、1985年(昭和60年)と今から30年以上も前の言葉です。この間、裁判員裁判の導入など、刑事裁判も大きく変わったといえるでしょうか、根本的には、「絶望的」な状態を脱したといえるのかは未だ疑問が残ります。

 そのような状態を一挙に解消できるような処方箋を持ち合わせているわけではありません。

 しかし、アメリカ連邦最高裁は、「成熟した社会の進歩を示す、発展する品位の原則the evolving standards of decency that mark the progress of a maturing society」(Trop v. Dulles, 356 U.S. 86, 101 (1958))を、合衆国憲法第8修正「残虐で異常な刑罰」の解釈基準として挙げており、このことは、わが国の刑事司法の今後を考える際の指標になるのではないかと思います。

 社会の変化を踏まえた現行法の問題点をくみ取り、吟味し、分析して、真に現在の社会が求めている法制度の形へと再構成して提言できるようにしたいとの(大それた)目標を掲げ、当会では活動をしていきたいと思います。

刑事司法について考える法律家の会
会員 一同