『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』を観てもう一度考える和歌山カレー事件判決

『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』を観てもう一度考える和歌山毒物カレー事件

1.はじめに

 私は,先日,連続ドラマが映画化された『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』を観てきました。この映画の元となった連続ドラマは,松本潤さんが演じる弁護士の深山大翔(みやまひろと)が刑事事件を通じて事件の真相を解明していくというものであり,同じ弁護士で役名と名前が一緒ということで私が勝手にシンパシーを感じ毎週欠かさずに観ていたドラマでした。

 話を映画に戻すと,依頼者の父親が,15年前にある農村で行われたワインの収穫祭(天下一葡萄会)において振舞われたワインに薬物を混入させて4人の命を奪った元死刑囚(死刑確定後に獄中で死亡)として描かれています。依頼者の父親が犯人とされた根拠となったのは,①事件後にワイン樽から顕出された薬品と同じ(と思われる)薬品が依頼者の父親の自宅ガレージから発見されたこと,②依頼者の父親以外の祭りの出席者が村長の挨拶に参加している中,依頼者の父親は唐揚げ当番として唐揚げを揚げており,ビデオに映っていない空白の7分間があったこと等の状況証拠から,「ワイン樽に薬物を混入できたのは依頼者の父親しかいない」という事実が認定され,死刑判決が下されました(これ以上はネタバレになるので,ぜひ劇場でご覧ください。)。

 この映画は,1998年に発生した和歌山毒物カレー事件をモデルケースとして作られた作品だと思われます。私は,この事件発生当時,まだ小学生であったため,リアルタイムの事件の記憶はあまりなく,ニュースが騒がしかった程度の記憶しかありませんが,この事件は状況証拠のみで死刑判決を下した判決という特殊性だけでなく,黙秘権の在り方や報道機関による証拠提出の拒否の限界等の派生論点を生じさせる非常に興味深い事件だったようです。また,近年では当時の鑑定に異議が述べられ,昨年には再審請求が行われるなど,まだまだ進行中の事件と言えます。

 このコラムは,『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』を観た皆さん(もちろん,同映画を見ていない皆さんも含めて)に向けて,モデルケースとなった和歌山毒物カレー事件を再確認するとともに,死刑制度の在り方についてもう一度考える機会になれば幸いです。

2.和歌山カレー事件とはどのような事件だったのか?

(1)事件の概要

 1998年7月25日,和歌山市園部において,住民同士の交流のために地区の夏祭りが開催されており,近所の主婦たちが調理したカレーが振る舞われたところ,住民合計67名が腹痛や吐き気等の症状を訴え,このうち,自治会長の男性(当時64歳),副会長の男性(当時53歳),高校1年生の女子生徒(当時16歳),小学4年生の男子児童(当時10歳)の4名が死亡するという事件が発生しました。

 本件事故発生後に行われた鑑定によると,被害者が口にしたカレーの中からヒ素が検出され,当時,本件事故の犯人とされた林死刑囚の夫が,かつてヒ素を扱うシロアリ駆除業に就いていたことや,林死刑囚の自宅からヒ素が発見されたこと,林死刑囚とその夫がカレー事件発覚前にヒ素を使った保険金詐取の疑惑が浮上したこと等から,林死刑囚が逮捕・起訴されました。

(2)裁判の経過と判決内容

 起訴後,和歌山地方裁判所において刑事裁判が行われましたが,この裁判は,林死刑囚がカレー鍋にヒ素を入れたことを目撃した者はおらず,犯人と林死刑囚を直接結びつける直接証拠がなく,林死刑囚が一貫して黙秘権を行使し続けたため動機が解明されていないという点で特徴的であり,林死刑囚が犯人であるか,林死刑囚に殺意があったのかが主な争点とされ,約3年半の長期間にわたり審理が行われました。

 このような審理を経て,和歌山地方裁判所は,

①カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜ヒ酸が林死刑囚の自宅等から発見されていること(以下,「理由①」といいます。)

②林死刑囚の頭髪からも高濃度のヒ素が検出されており,その付着状況から林死刑囚が亜ヒ酸等を取り扱っていたと推認できること(以下,「理由②」といいます。)

③夏祭り当日,林死刑囚のみがカレーの入った鍋に亜ヒ酸をひそかに混入する機会を有しており,その際,林死刑囚が調理済みのカレーの入った鍋のふたを開ける等の不審な挙動をしていたことも目撃されていること(以下,「理由③」といいます。)

などの理由から,林死刑囚が犯人であると断定し,犯行が計画的でないことや殺意が未必的であること,動機が解明されていないこと等の主観的事情は責任を軽減する事情とは言えないと評価し,検察官の求刑通り,死刑判決を下しました(和歌山地判平成14年12月11日判タ1122号464頁。なお,この判決は,刑事訴訟における黙秘権の在り方や最先端の科学的知見の証拠化の在り方,犯罪報道の在り方等について興味深い判示をしています。)。

 その後,林死刑囚は,第1審の判決を不服として大阪高等裁判所に控訴し,事件は控訴審において審理されることとなりましたが,大阪高等裁判所は,林死刑囚が同事件の犯人であることは,もはや疑いを容れる余地がない程度にまで立証されているとして,林死刑囚の控訴を棄却し,第1審の死刑判決を維持しました(大阪高判平成17年6月28日判タ1192号186頁)。

 これに対して,林死刑囚は最高裁に上告したものの,最高裁も林死刑囚が犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されていると認められ,林死刑囚のために酌むべき事情を最大限考慮しても,第1審や控訴審が維持した死刑の科刑は是認せざるを得ないとして,上告を棄却しました(最判平成21年4月21日集刑296号391頁)。

 このような経過を経て,林死刑囚の死刑が確定し,現在は大阪拘置所において収監されているようです。

3.和歌山毒物カレー事件判決に対する疑念と再審請求の状況

 上記のように最高裁判決により林死刑囚の死刑判決が確定しましたが,判決理由となった理由①から理由③にはいずれも疑念の余地があるとされています。

 特に,理由①については,事故現場から検出されたヒ素と林死刑囚の自宅から発見されたヒ素の特徴が一致したとされる鑑定は,「スプリング8」と呼ばれる分析装置が使用されたようでしたが,林死刑囚の弁護団が材料工学に詳しい河合潤教授に鑑定を依頼したところ,それぞれのヒ素に混ざっていた不純物などが違い,由来が異なること等の鑑定結果が出されており,捜査機関による意図的なデータの改ざんがあったのではないかということが疑われています。さらに,理由③についても,目撃者の証言が時間の経過により変遷していることを問題視せず,事故当時,林死刑囚と共にカレー番をしていた林死刑囚の娘の証言が身内をかばう信ぴょう性のない証言として採用されていませんでした。

 このように,和歌山毒物カレー事件の判決理由については様々な疑念が投げかけられていたため,最高裁判決が出てから3か月後の平成21年9月頃に第1次再審請求が申立てられました。

第1次再審請求においては,主に捜査機関側の鑑定方法の正確性が争われ,上記の河合教授の鑑定意見書などが新証拠として提出されましたが,和歌山地方裁判所は,ヒ素の組成上の特徴が一致しているという事実はすべての証拠を検討してもなお認められるとして棄却し,抗告審である大阪高等裁判所も河合教授の意見書などをもっても,ヒ素の組成上の特徴が一致していると判断した鑑定の信用性が揺らぐものではないとして,即時抗告を棄却する判断を下しています。

その後,林死刑囚は,最高裁判所に特別抗告を申し立てましたが,鑑定方法の正確性の正確性とは別の観点から令和3年5月31日付で第2次再審請求を行っています。これは,捜査機関が.事件発生当初はカレー鍋から検出されたのが青酸化合物であると発表していたものの,この解剖結果は当初の刑事裁判では提出されていませんでした。仮に青酸化合物による毒物事件であるとすると,林死刑囚とは別に真犯人がいるということとなります。そこで,弁護団はこの真犯人が他にいることを根拠として第2次再審請求を行い,この第2次再審請求は現在も和歌山地方裁判所で審理されています。

4.あなたは死刑判決を下せるか

 和歌山毒物カレー事件判決後,一般市民が殺人を含む重大な刑事事件について裁判手続に関与する裁判員制度が開始され,このコラムをご覧になっている皆さんが,和歌山毒物カレー事件のような裁判に立ち会う可能性があります。裁判員裁判においては,一般市民である皆さんが有罪か無罪かを判断するだけでなく,事案によっては被告人を死刑に処すかどうかを決めることとなります。

 もっとも,和歌山毒物カレー事件のように,直接的な犯行を裏付ける証拠は存在せず,犯行動機が不明瞭等,不可解な点が数多く存在する中で,裁判員として参加した皆さんには,「被告人しか犯行を行う者がいない」と断定して有罪と判断することや,被告人の生命を奪うこととなる死刑の判断を下すことができるでしょうか?

私は,『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』が単なる大衆娯楽映画ではなく,状況証拠のみで冤罪の死刑囚を生み出してしまうことの危うさを,裁判員として参加する可能性がある皆さんに対して戒めるメッセージを発しているのだと思います。

 

2022年2月10日

弁護士 進藤 広人