『有罪、とAIは告げた』を読んで

2025年12月15日

中山七里『有罪、とAIは告げた』(https://amzn.asia/d/7ST0YZi)を読んで色々と考えさせられたため、簡単に記したい。


まず、基本的なテーマとしては、政府が失敗したクールジャパン政策を隠すために、中国との技術交流名目で、AI裁判官のソフト『法神2』を刑事の東京高裁管内で試験運用してみることになったという設定である。

裁判所の人材不足、事件過多、未済件数や、昇進などで述べられていることはフィクションとはいえ、リアリティを持って語られている。

そのような中で、証拠等について、各裁判官がどのように重みつけしたかを数値化し入力することで、法神が、判決文まで出力するという仕組みである。法神は、このほかにも、関連裁判例や文献などのリサーチもしてくれる。

多くの刑事裁判官が、その有用性に魅了されるなかで、主人公の高遠寺円判事補は、法神の使用のインストラクター的な立場を東京高裁部総括から頼まれながら、自分の事件には用いてこなかった。

そのような中で、18歳の少年が、自分の父親を包丁で滅多刺しにして殺した事件が円の部に係属し、同部の裁判長が法神を使って「死刑」との自分の心証に合致した判決文案を出力させた…。

というのがあらましである。


判決文案をAIに出力させることができるかというのは、論点として非常に悩ましいものがあるであろう。昨今の生成AIは、科学分野における論文作成だけでなく、司法分野においても、弁護士の準備書面案の作成に用いられるなど普及しているのは確かである。そのような中で、なぜ、判決文についてはダメなのか?という問題提起がされており、その背後には、「人が人を裁く」ということの意味を考えることが意図されているように思う。

法神は、生成AIであるため、入力されたデータから確率的にそれらしい出力をすることになる。しかも、人の手による場合とは比べ物にもならない何倍もの速度で。しかし、そこで削ぎ落とされているのは、一文一文考えるに当たっての人の意図や悩みという人的な営みであろう。結論的に同じような判決文が出てきたとしても、法神の判決文案は、あくまでも確率的にその人が書いたかのような「もの」にはなっていても、その判事が「書いたもの」とは本質的には違うのではなかろうか。

哲学的な考察は当職の手に余るが、「このような人の意図や悩み」こそが、最終的な判決に対する責任を形成するものであり、全文、まして主文までAIに出させるということはこのような人の営みの否定のように思われる。

AIにより、現状のブレイクスルーがされるかというと、これも、生成AIの(少なくとも現在の)特性上、新たな判例性のある判断を示すことができるのかは疑問であろう。過去の確率的な事情の反映になるからである。

結局、現状を変えようとするならば、今を生きる人が責任を持って変えていくしかないようにも思えた。


同書の本質的なテーマについてのコメントはこれくらいにして、残りは、一応、刑事司法に関わる者として、現行法に関して気になった点をいくつか指摘したい。少しネタバレ的な側面もあるため、ネタバレを気にしない方のみ読まれたい。

まず、主人公の円判事補が、公判前整理手続の実施前に、なぜか供述調書(しかも、被告人を逮捕し、取調べをした刑事の)を読んでいる。さらに読むだけでなく、取調べ刑事に、非公開の場で事前に会って話をしている。さらには、実は、その刑事は、円判事補の恋人であった。

起訴状一本主義を取る我が国では、公判廷における証拠調べ前に、裁判官が供述調書を読むということはありえない。

さらには、証人尋問以外で、取調べ刑事と会って事件の話をするなどということは、証拠裁判主義に反する。

この刑事本人は、この少年による父親殺害に懐疑的な側面があり、それが小説の中では重要な進展をもたらすのだが、現実にはあってはならないことである。

なお、円判事補は、被告人の少年にも、被告人質問前に会って話をしている。責任能力の鑑定前にしているがこのようなことができるとは聞いたことはない。

また、18歳の特定少年に対する死刑について、弁護側が更生可能性を述べたのに対して、公判検事が、アルコール依存で家族への暴力の絶えなかった被害者である父親のやり直す機会を奪っているのだから死刑を免れる理由にはならないとの反論をしている。これに対して、円判事補ほか同部の裁判官は納得したようである。しかし、自分としては、国家が、更生可能性のある人の更生の芽を、新たに奪って良いことには全くならず、反論としては論点をずらしているだけとしか思えなかった。死刑事件を担当する(私選?)弁護人が、その程度で再反論できなくなるとも思えないし、裁判官がこの検事の言い分を説得的と思うことには、若干の違和感を覚えた。

この他、尊属殺であることを、死刑求刑にあたってのかなり重要な事情に、本書ではしていた。いわゆる永山基準の先例性などはあるものの、尊属殺であることが、無期刑では足りないほどの悪性を示すのかといえば極めて疑問である。現在、量刑議論が精緻化し、量刑グラフを裁判員裁判では当然に利用する実務運用的にはかなりクエスチョンだった。

この他にも気になる点はあったが、小説としての面白さは減殺されるものではないと思うため、この程度にしておきたい。


AIと刑事裁判という最先端の議論への興味という意味では非常に面白い小説であった一方で、最後の終わり方は、実に人間的・感情的、アナログ的なものであった。

犯罪現象、特に人身犯のそれはら非常に人間臭いものであるため、それを扱う刑事裁判もまた、最後の最後には、人間的なものになるということを、言外に著者は言いたかったのかもしれない。